僕はおばあちゃんの手を握る

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今、僕のおばあちゃんは施設にいる。

「なんちゃら苑」みたいなよくある介護施設だ。
腰を悪くしてから、日常生活に支障があるということでそういうところで日々を過ごしている。

 
長期休みになると遊びに行く。
もう少し会いに行けたらと思うけど、自分の感覚でも時の早さは増すばかりなので、おばあちゃんにしたら一瞬かもしれないなと思うことにしている。
 
そういった施設に今まで縁がなかったから、ウイルスや菌に対してかなり厳しい事を知った。 入る時は必ずマスク、手は殺菌。抵抗力がないお年寄りばかり、確かに風邪が流行ったら大変なことになる。
 
会えるのは1Fのロビー。

僕は自他共に認めるいい加減なやつなので、おばあちゃんと喋っているといつの間にかマスクがアゴにずれている。無意識で外しているらしい。おばあちゃんごめん。

そんなやつなので、手はさっき消毒したからいいかと、帰り際に必ずおばあちゃんの手を握る事にしている。
自分の体温の記憶をおばあちゃんの心に残したいという願いも実はある。

歳をとればとるだけ、人にふれることは少なくなっていく。
迷惑をかけないようにと気を使うのは素晴らしいと思うが、街を歩けば、実は「予防」の名目でマスクをしている人だらけだ。
人に対する心の壁が、マスクになって表現されている気もする。


私にうつすな

私にふれるな

私にちかずくな
 

僕はあなたと話したい。

僕はあなたの顔が見たい。

僕はあなたにふれたい。
 

歳をとった自分に望む事を聞いてみたら、そんな答えが返ってくる気がした。

 
だから僕はおばあちゃんの手を握る。

<この文章は2016年4月に記述したものを再掲載しています。>

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